サイト名

学び 発見 奈良の魅力を深く

トップ > 魔法の言葉 >桃蹊(柳井 尚美)さん

【私を支える魔法の言葉】
心如工畫師 「心は工(たくみ)なる畫師(がし)の如(ごと)く」

シンガーソングライターの大垣知哉が「今、会いたい輝く女性」を取材し、人生の支えになった大切な言葉とストーリーを綴る「魔法の言葉」を連載。

書家 桃蹊(柳井 尚美)さん

(取材日:平成31年5月)

 昭和34(1959)年、埼玉県生まれ。昭和52(1977)年に鎌倉円覚寺居士林で禅(栽松軒足立慈雲老師)に出逢い「桃蹊」の名を戴く。昭和57(1982)年、東京学芸大学芸術科書道卒業後、奈良に移住。昭和58(1983)年、故今井凌雪に師事。平成25(2013)年より書活動再開、文科省派遣作家。禅の教えから、墨の濃淡に生と死を重ね、「心象の風景」を描く。近年、神社仏閣(石上神宮、春日大社、氷室神社、談山神社、海龍王寺など)奉納揮毫 、題字、映像作品、音楽家との共演によるライブドローイングの活動など。


心如工畫師=華厳経唯心偈 (けごんきょうゆいしんげ)の一節。自分の心は巧みな絵師のように、自身が描ける。全ては心のあるがまま。


  「想像してみるんだよ。希代の書家がどんな思いで、どのように書いたのか」。そう言って想像と表現の面白さを教えてくださったのは高校の先生でした。左利きを矯正するために始めた5歳のころの習字。この言葉に習字ではなく表現する魅力を知り、大学でも芸術を学びたいと思いました。
 しかし、中学、高校とバレーボールに夢中になっていた私にとって受験は困難なもので、挫折を味わっていた頃、予備校の先生が鎌倉円覚寺で行われている「学生摂心(坐禅会)」への参加を何気なく言葉にされ、私は何とはなしに円覚寺へ。前管長足立老師との出会いは今思えば偶然ではないのでしょう。信仰にさほど興味のなかった私が初めて禅の教えに触れ、仏教に興味を持ち、その後、東京学芸大学に進学し卒業。そして、「関西で日本の文化と書(特にかな)」を学びたいとの思いで大学時代から度々訪れた奈良に居を移したのでした。


《写真左》昭和58(1983)年、小学校の入学を迎えた私(左)と親戚。当時の本店(五條市須恵)の前で《写真右》平成26(2014)年、家族勢ぞろいの写真


 私にとって人生を大きく変えた連れ合いとの出会いは「珈琲凡豆(ぼんず)」という喫茶店でした。彼は「何をされているんですか?」と声をかけ「書家です」と私。すると「書でよく食べていけますね」との返答に「何、この人!?」と訝(いぶか)しかったものの、彼の彫る仏像の話や深く広い視野の考え方、近しい価値観に惹かれるものがありました。彼は奈良にある宿の後継にもかかわらず、若く片道切符で日本を飛び出し、アメリカのシカゴにあるウエスティンホテルでフレンチの副料理長をし、両親のかねてよりの願いで、日本に帰らざるを得なくなった後に出会ったのです。そして、結婚し、3人の子らに恵まれました。
 そんな中、両親と姉の高齢に伴い宿を主人が任されることになり、私は成り行きとはいえ女将に。驚く間もなく、当然書に関わる時間などありませんでしたが、主人はいつも私の書の制作を促し、主人が宿主となったことで、海外からお客さまが急増し、私の書は海外の方からも喜ばれ、宿でお客さまと墨を楽しむようになりました。忙しいながらも、家族とともに暮らす幸せな毎日でした。
 しかしこの頃すでに、主人はガンに蝕まれ何度か再発を繰り返していました。病の中、父と母を看取ります。彼は愚痴は一切言わず、笑って「ありがとう、すまんなあ」と私を気遣い、子らを思い、宿を考え働き続けました。
 私はガンはいずれなくなると信じていたので、彼がいなくなるなど想像すらしませんでした。しかし、平成21(2009)年1月3日、彼は自宅で家族が見守る中、逝ってしまいました。「神様も仏様もいない。奇跡なんてない」。私はそんな想いと後悔と哀しみを抱えながらも、ご縁の方にお手紙を書くため、力なく墨を磨り、紙に筆を下ろすと不思議とその時だけは涙が消えました。
 その経験をきっかけに、書に向き合う気持ちが変わりました。自分の救いの為に再び持った筆は、かつて生業にしようとしていた若き頃より不思議と多くのありがたい機会をいただくようになり、神社仏閣での奉納揮毫や、題字・看板の仕事をかつて以上にいただくようになりました。東大寺さんでの写経や戒を受けた際に知った華厳経の一説「心如工畫師」という教えは、かつて円覚寺の老師から学んだ教えであることに気づいたのです。近年さまざまなアーティストの方々と共演させていただく機会が増えました。これからも「仕事が暮らし、暮らしが仕事」の日々にあって「心如工畫師」の教えを胸に墨を磨り、奈良墨の素晴らしさを広く永く伝えながら「心象の風景」を描き続けたいと思います。

SNS

PR

ページのトップへ戻る