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【私を支える魔法の言葉】
意は真似易く、型は真似難し。

シンガーソングライターの大垣知哉が「今、会いたい輝く女性」を取材し、人生の支えになった大切な言葉とストーリーを綴る「魔法の言葉」を連載。

山村流 上方舞 舞踊家 山村 若女さん

(取材日:平成30年11月)

 4歳にて山村流に入門。五世宗家の薫陶を受け、18歳にて山村流四世宗家直門として 師匠名取を許される。門人の会・若水会(おちみずかい)、東京門人会・秋津島(あきつしま)の会、地歌舞の会・玉響(たまゆら)の会を主宰し、それぞれ年一回の舞の会を開催。数多くの舞台に立つ傍ら、自らも大阪・奈良・東京にて座敷舞の定期公演会や座敷・町家ライブ、講演活動など、地歌舞の普及に務める。昭和61(1986)年より舞の原点に還るべく奈良・京都・東京等の神社仏閣にて奉納舞活動実施。海外公演はフランス・イタリア、今秋は奈良市キャンベラ友好姉妹都市25周年行事でオーストラリアへ。


意は真似易く、型は真似難し。=頭の中で意味がわかった気になったり、その言葉を真似たりすることはたやすく出来ます。しかし、道の達人の所作や形(型)を真似たり、その通りにうつしとることは難しいこと。


 吉野郡川上村で林業を営む両親のもと、三人兄弟の真ん中の長女として生まれました。3歳の時に大阪・阿倍野区へ引越しすることになり、その隣人がなんと山村流のお師匠さんでした。塀越しに「隣のお嬢ちゃん、お稽古しましょ!」と誘われ、日本舞踊を習い始めました。
 6歳で初舞台を踏み、思い返すと8歳の時に舞った藤娘の舞台で、四世宗家の山村若師から「筋がいい」と褒めていただいた記憶が幼いながらも誇りとなり、今日まで舞を続けることができたのかもしれません。
 その後、四世宗家のご息女にあたる山村糸師匠(五世追贈)にご指導を受けるようになりました。糸先生の教えは私の心に染み入るようでした。「ひろこちゃん(本名)は、形はできてるねんけど、つながりをもっと大事にせなあかん。文章も助詞や助動詞で意味合いが変わるやろ」「舞は数学。自然には理にかなった美しさがあるんよ。だから、型は決まってんねん。自然をお手本にしなさい」。この糸先生との出会いこそ、私の人生においてかけがえのないものでした。

《写真左》6歳の時、初舞台を踏み「長唄・羽根の禿」を披露《写真右》丹生川上神社下社水まつり2017での奉納舞の様子(写真撮影:西村のぶよ)


 名取になると糸先生は「人に教えへんかったら上手にならへんから、近所の子どもを集めて教えなさい」と勧めてくれましたが、稽古が好きだけれども、私は、人に教えることなど夢にも思っていませんでした。
 そんな私が師匠業を始めるきっかけとなったのが、23歳の時の糸先生の死でした。あまりにも早い師匠との別れに愕然としました。他界された3日後に宗家の会で「三つ面子守」を新たな振りで踊ることになっていた糸先生のその振りを引き継ぎ、3ケ月後の舞踊会で舞うことになりました。新たな振りを付けた糸先生のお父様と四世宗家が一緒になって、わが子に教えるように親身にご指導してくださいました。
 逆縁の立場のお二人のお気持ちを考えると、私もそのお気持ちに応えようと必死でお稽古しました。私の心の中にあったのは糸先生の素晴らしさを後世に残したいという思いでした。私が頑張れば、糸先生の名が残る。糸先生の教えを後世に伝えていきたい、それこそが先生への供養だと思い、師匠業の決断をいたしました。
 その後、平成9(1997)年、フランスのエビアン市で行われた「日本文化フェスティバル」にて地歌舞を舞う機会を得ました。芸術大国フランスでは、人々の日本文化への関心は想像以上で、満員の会場は誰一人と微動だにせず、たいへんな高評価をいただきました。このとき地歌舞は世界に通用する、本物の日本を見せることこそがインターナショナルであると実感したのです。
 ライフワークとなった奉納舞は、有馬稲荷神社をきっかけに、大和神社、貴船神社にて毎年奉納させていただいております。後から知ったのですが、有馬稲荷神社がある有馬温泉の中興を支えたのが、私の故郷、川上村の人たちだったそうで、大和・貴船各神社に至っては川上村の丹生川上神社上社の水の神様が祀られているとのこと。
 山村流の教えは水で家紋は水紋。そして、私が代々受け継ぐ女紋は桜。桜といえば吉野。山村流の替紋が裏桜。つまり、これらはすべて自然の流れでご縁をいただいたものなのです。
 現在、拠点を置く奈良は日本文化の発祥・揺籃の地です。この奈良で舞を発信することは、国内だけでなく、世界中への発信することにつながります。日本人に郷愁と憧れを抱かせる古都・奈良。私は故郷から縁を得た舞を世界に発信していく。たくさんの人を経て受け継がれた先人の型を真摯に受け継ぎ、さらに世界の人々に感動を与える舞踊家になりたいと思っています。

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