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イクメン書道家 羽生さんの筆文字扇子も担当
好きこそ物の上手なれ

(取材日:平成28年11月)

 中学、高校の青春時代を奈良で過ごしたシンガーソングライターで俳優の大垣知哉さん(写真左)が、奈良にゆかりのある伝統を継ぐ人や一流のエンターテイナーたちと、奈良への思いを中心に対談します。

映画監督 塩崎 祥平さん

 イクメン書道家として知られる生駒市出身の山村龍和さんは、書とアートを融合させた作品の制作や将棋界の羽生善治さんの筆文字扇子を担当するなど、活躍の場は多岐にわたる。「好きこそ物の上手なれ」と、幼少期から筆に触れてきた山村さんは、奈良を筆や墨の「聖地」といい、奈良をイメージして「都」としたためた。自身のイクメン生活の考えや、文字を上手に見せるテクニックなどについて、大垣知哉さんと対談した。


大垣 僕は字にコンプレックスがあるというか、人前で書くことが苦手なんですが、山村さんは幼いころからお好きだったんですか。


山村 7歳で書道に出会う前までは絵を描くことが好きでした。書をやるものは絵をやった方がいいという偉大な先人の書家の先生の教えもあり、今思うとそこで空間感覚みたいなものを学んだように思います。
 幼いころはメカ的なものが大好きだったんです。学校から帰ってきたらファミコンしたり、そんなことをして遊んでいました。
 しかし、高校生くらいになって飽きてくるというか、そういうものにピタリと興味がなくなり、書道にのめり込んでいきました。


大垣 山村さんが進学された桜井高校の書道コースですが、そのときから将来は書道を仕事にしようとされたのですか。


山村 高校で書道のコースというのは県内では桜井が唯一、全国で見ても奈良と福岡しかありませんでした。
 授業では書の概要とか、中国の昔の人が記した書を習いました。漢字、ひらがな、手紙、篆刻などを教えてもらいました。実は高校進学の時には将来「書道家になりたい」という夢はありませんでしたね。大学に進学して教員になりたい、そう思っていました。
 大学を卒業する前に、半年ほど休学して旅に出まして、そこでいろいろな人との出会いがあり、そこで自分の一番好きなこと、書道で生きていきたいと思うようになりました。その後は渡米し、ハリウッドの俳優やアーティストと交流する中「書とアート」というものに目覚めました。


大垣 書家としてはもちろん、山村さんと言えばイクメンで有名ですが、ご家庭ではどのようなイクメンぶりなんですか。


山村 毎日の幼稚園の送り迎えから、あやすこと、何でも妻と二人三脚で楽しくやっています。そもそも西洋文化が入ってくる明治以前の日本の男性はすべてイクメンだったんです。昔は企業ではなく、家業。女性が働き、男性が子どもの世話をしている家も多く、イクメンは日本らしい文化のひとつだと思いますね。お互い支えあって、自分のこの仕事もさせていただいているのではと思います。


大垣 奈良出身というのは、山村さんの作品に影響を与えていますか。また芸術を目指す若い方に何かアドバイスをいただけますか。


山村 そうですね。墨屋さんが多いこの三条通界隈などは、書をさせていただいている自分たちにとっては聖地と言える場所だと思います。また自分を作り、育ててくれたこの奈良の風景、歴史、そういうものに自分が受けた影響は作品に生かされていると思います。
 わたしの場合もそうですが「好きこそ物の上手なれ」と、そう思います。好きだから続けられる、好きだから頑張ることができる。
 わたしの生まれ育ったこの奈良で、今後いろいろなジャンルの方々と、アートでご一緒できれば、うれしく思います。


大垣 ぜひその際にまたご一緒できるのを楽しみにしています。

 

やまむら・りょうわ
 1984年、生駒市生まれ。7歳より筆を持つ。県立桜井高等学校普通科書芸コースに進学し、伝統的な書の研鑽を積む。三重大学教育学部卒業後、書道家として独立。2010年渡米。世界的なアーティストや社会活動家、ハリウッド俳優と出会い、大きな岐路となる。それ以降、作風は一変。「アートとしての書」に開眼する。現在は京都を拠点に作品を発表。国際書芸協会理事。
URL:http://ryou-wa.com/
 
 
【撮影場所】株式会社 古梅園
住所:奈良県奈良市椿井町7番地
電話:0742-23-2965
営業時間:9:00~17:00
定休日:土日祝
URL:http://kobaien.jp//

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