木桶で自然のままに 味のブレは手仕事の価値
片上醬油代表 片上 裕之さん
(取材日:令和元年10月)
豊穣の時を迎える御所市の農村に醤油醸造「片上醤油」はある。無添加・天然醸造にこだわる代表の片上裕之さん(58)は、激動の時代を生き抜き受け継いだ醸造のための木桶と日々向き合い、大量生産・大量消費の時代とは異なる価値の醤油を生産している。「自然な作り方はどうしてもブレが出てきます。そのブレに仕事の進歩やおもしろさがある」と木桶に〝住む〟菌と対話するよう、最高の醤油と手仕事の価値を追い求める。
御所市森脇にある片上醤油は昭和6年に祖父の故・片上茂雄さんが創業した。当時は国の配給制度が敷かれており、生活必需品の製造の創業が相次いでいたという。
激動の昭和を生き抜き、茂雄さんの跡継ぎになったのが現代表の裕之さん。高校生の時に銀行員だった父、祖父の茂雄さんから醤油作りの跡継ぎの話をもらい「やってみる」と応えた。
東京農業大学へ進学し、醸造を専門的に学び、卒業して家に帰った。祖父の醤油の作り方、自分が理想とする作り方で「毎日けんかにならないけんかを繰り返していた」と振り返る。
祖父が長年作ってきた醤油は添加物を加えて作る。安価なものを大量に求める当時の消費者ニーズに合致していたが、裕之さんは高付加価値を模索した。無添加で天然醸造の醤油を作りたいと。
卒業して2年後、祖父から判子と銀行の通帳を手渡された。その日から亡くなるまで祖父は醤油作りについて一切の口を出さなくなった。「設備は古く、これを引き継いでもこのままではあかんのちゃうか。大手醤油メーカーの真似は逆立ちしてもできない」そんな不安の中、丸大豆、無添加、天然醸造の醤油作りに懸命に向き合ってきた。
蔵に宝物が残っていた―。昭和39年、企業の協業化や設備の近代化を目指して中小企業近代化促進法が施行された。同業者が共同で生産し、設備の近代化を促し支援する法律だが、祖父をはじめ奈良の醤油作りの先人たちはこれを拒んだ。結果、奈良の地には全国的にも珍しい長い歳月を経た木桶が残った。
この木桶には乳酸菌30種以上、酵母菌30種以上が〝生きている〟。近代化の進んだタンクでの醸造には真似できない。裕之さんは「桶が成長していくんです。この木桶がうちの一番の強み。継いだ時にここまで考えていたわけではないけれど、結果的にこの木桶が今も醤油作りをさせてくれています」と語る。
裕之さんの元には、全国から使っていない古い木桶を引き取ってくれないかという打診もあるが、すべて断っている。「使っていない木桶は生きていない、さらにうちのこの蔵にいる菌とはまた違う」と。
無添加、天然醸造にこだわる裕之さんは「木桶で自然のままに作る醤油は味のブレが出ます。今回は前回よりいい出来だとか。でもブレるから仕事の進歩がある。手仕事を感じていただけるものをご提供しています」と話す。
「生きている木桶は人の心をも映します。小さな醸造屋としてできる精一杯の仕事をやり、それで勝負です」とも。
大量生産、大量消費の昭和、そして平成の時代が過ぎ、多様な価値観が混在する新たな時代。裕之さんは手仕事の良さや、それを理解し価値を見出してくれる取引先や顧客とのつながり、それらの可能性を追い求め、次の世代に紡ぐ。
かたかみ・ひろゆき 御所市出身。五條高校卒業後、東京農業大学の醸造科学科へ進学。大学卒業後に家へ戻り祖父とともに醤油作りに励む。その2年後に昭和6年から続く片山醤油を祖父から受け継ぎ、高付加価値の醤油作りを模索。丸大豆、無添加、天然醸造の醤油作りに懸命に取り組み続ける。