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工場閉鎖覚悟した病乗り越え 「幻のラムネ」をより多くの人へ

イコマ製菓本舗社長 平口 治さん

(取材日:令和元年6月)

イコマ製菓本舗(生駒市)が製造するコロンと丸い姿が愛らしい「レインボーラムネ」は、毎年2回の抽選販売が行われる大人気商品になっている。11年前、平口治社長は工場閉鎖を覚悟する病を患ったが、手術により病を克服。その時からこのラムネは古くからのファンに「幻」と評されるようになった。今、平口さんは手作業を守りつつ、生産量を4倍にする設備投資を行い、待ってくれているファンに応えようと励んでいる。


 パステルカラーの青、ピンク、黄色が特徴のレインボーラムネは、口に広がるほんのりとした甘さが郷愁を誘う。毎年2回、はがきでの抽選販売を実施し、各回3500人の抽選枠に対して全国から8万通を超える応募がある。抽選受付期間は公式ホームページで発表される。
 レインボーラムネを作るきっかけとなったのは約26年前。平口さんがサッカーの試合を見た際「サッカーボールみたいなラムネを作りたい」と考えたことから。
 一般的なラムネの直径が10~12㍉であるのに対しレインボーラムネは20㍉と大きい。試作の段階でも「こんな大きいと売れない」と周囲から言われたと平口さんは振り返る。
 レインボーラムネが「幻のラムネ」と呼ばれるようになったのは、ファンがSNSに投稿したのがきっかけ。しかし「幻」と評されたのは、手に入りにくい競争率の高さではなかった。
 平口さんは約11年前に胃がんのために入院した。医師からは5年生存率がおおよそ40%とされる「ステージ3」と宣告されていた。それを聞き、もう仕事を続けることができないと考えた平口さんは、ラムネの注文を受けていたお客さんに「もう納品することができなくなりました」と筆を取り、はがきを出した。
 工場内も整理し〝覚悟〟を決めていた平口さんだったが、手術によりがんを見事に克服。6カ月後にはラムネ作りへ復帰を果たし、待ってもらっていたお客さんに納品することができた。その際に、「もうこのラムネを食べることができないと思っていた」と多くの感謝の声が届いた。
 「ラムネを手にした人がその話をどこからか聞き、SNSで幻のラムネと名付けてくれた」と平口さんは語る。この投稿者に会ってお礼を言いたいと、平口さんは足取りを辿ったが、まだ会うことは叶っていない。
 レインボーラムネは平口さんの手で一日約8万個作られる。混ぜ合わせた材料をラムネの形にする工程は、一台の機械を平口さん自らが動かし作業を続けている。平口さんは「レインボーラムネを待ってくれている人のためにも、より多くのラムネを作れるようにしたい」と新しい機械を発注した。
 導入する機械は完全自動化ではなく半自動化で、形を作る大事な部分は今と同じように平口さん自らが動かす。レインボーラムネの味が変わることなく一日の生産量が約4倍に増加することを見込んでいる。
 平口さん監修のもとでUHA味覚糖から「レインボーラムネミニ」が発売された。今までは近畿エリアのコンビニやスーパーで販売されていたが、10日から西日本エリアに拡大された。
 平口さんは、レインボーラムネが繋いだ顧客やファンに虹を届けようと、きょうも作業に精を出す。

ひらぐち・おさむ
 生駒市在住。近畿大学卒業後、大阪府の服屋に就職。その1年後に家業を継ぐため実家に戻る。当初は主にラムネ菓子のキャラクター商品づくりを請け負っていた。現在では、レインボーラムネのみを製造販売している。

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