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【私を支える魔法の言葉】
仕事で大切なのは、ともに笑いあえること

シンガーソングライターの大垣知哉が「今、会いたい輝く女性」を取材し、人生の支えになった大切な言葉とストーリーを綴る「魔法の言葉」を連載。

MICHIKO-SWEETS代表 永井 甫智子さん

(取材日:令和元年8月)

 ながい・みちこ 大阪府出身。2歳のころに奈良に引っ越す。幼稚園から高校まで奈良育英学園に通い、大学は帝塚山学院大学に進学。大学卒業後、百貨店のアパレル販売に従事。バイヤーを目指していたが、父が倒れ家業を手伝うことに。渡仏してリッツ・エスコフイエ・パリ料理学校で基本技術・知識を学び、母が堂島で経営していたフランス料理店「レストランアンブラッセ」の代表に就任。その後、堂島スウィーツを立ち上げ、『堂島プリン』や『魔法のロール』などのヒット商品を世に送り出す。令和元(2019)年、堂島スウィーツから離れることを決意し、新たな事業展開を模索中。現在も奈良在住。


仕事で大切なのは、ともに笑いあえること=誰かが泣いていたら、心底から笑うことはできない。だから、仕事上でも、自分も相手も笑えるやり方で進めていきたい。


 「明日から、あなたがオーナーね」大阪の堂島でフランス料理店を経営していた母が突然そう告げたので、私はあまりにも急のことで言葉に詰まりました。ただ、30歳を迎え、子育てが少し落ち着いた時期だったので、母の仕事を継がないといけないという責任感にかられて、その3日後に母の提案を受け入れました。


《写真左》フランス料理店「レストランアンブラッセ」でワイン同好会を開催する永井さん(右から3人目)《写真右》平成21(2009)年、娘のあやかさん(右)が20歳の記念に家族で撮影。中央は母の捷子(かつこ)さん


 そもそも私は経営など全く知らない素人。フランス料理店の腕利きの料理人たちは、突然やって来た素人経営者の意見なんて聞き入れてくれませんでした。それでも必死にお客さんを集め、見よう見まねで接客する中で、お料理はさすがに美味しいものですから、お客さんが増え、徐々に料理人たちも私の意見に耳を傾けてくれるようになりました。
 しかしその後にバブルが弾け、高級志向のフランス料理店は売上が減少しました。そこで私が発案したのが、82坪の広い店内を活かしたレストランウエディング事業でした。今では一般的ですが当時はまだ最先端で、たくさんのご要望をいただきました。平日の通常営業ではワインを勉強しながら楽しめる「ワイン同好会」を発足するなど、豪華な調度品で彩られた店内の雰囲気と駅に近い立地を活かした企画を打ち出していきました。
 そのような状況の中、腕の良いパティシエが新たに入社し、そのパティシエが作るスイーツがお客さんの中で評判となりました。一番人気だったのが、バーナーであぶってお出しするプリン。その後、プリンをテイクアウトできないかと考え、料理店の隣にテイクアウトの洋菓子店をオープン。それが「堂島スウィーツ」で、そのプリンを『堂島プリン』と名付けました。
 時代とともに大箱のレストランは消費者のニーズにそぐわなくなる一方で、テイクアウトできる『堂島プリン』はさらに注目を浴び、全国各地の百貨店から期間限定出店のご要望をいただきました。そして、レストランを閉め、スイーツ事業に絞ることを決意。その後、全国各地で年間約2240本もの期間限定出店を行い、『堂島プリン』だけでなく、『魔法のロール』といった人気商品を展開していきました。
 長年やっているとどうしても凝り 固まってしまうことがあ ります。当社で言えば、『堂島プリン』と『魔法のロール』という確固たる定番商品があることで、その域から脱した商品づくりができなくなりました。菓子職人たちにチャレンジ精神がなくなったことも理由の一つです。
 そこで私は、ある大きな決断をしました。本年度に堂島スウィーツを卒業し、新たなスタートを切る。そのスタートして着目したのが故郷であり、今でも住まいを構える「奈良」です。まさに原点回帰になるような商品づくりをしたいと、奈良にゆかりのあるクリエイ ターたちとチームを組み『万葉プリン』を開発しました。
 販売経路としてはこれまで培ったノウハウを活かして、東京や全国各地への展開を考えています。また、オリジナルの商品だけでなく、奈良ですでに販売されている他企業さまの商品の委託を受けて、全国に展開するという業務もスタートさせました。つまり、大好きな「奈良」で私の集大成を示したいと考えているのです。
 堂島スウィーツでは億単位の売上を追って事業展開してきましたが、その中で見落としてしまったものがたくさんありました。これからは売上だけを追うのではなく、心と体の両方を健康にできる商品を提供していきたいと考え、商品開発に励んでいます。
 やはり育った街にかかわれることはとてもうれしく、やりがいを感じます。不安がないと言ったら嘘になりますが、仲間たちとともに笑いあえる仕事のやり方でスタート切った、今がまさにその時です。

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