サイト名

学び 発見 奈良の魅力を深く

トップ > 魔法の言葉 >田中 妙子さん

【私を支える魔法の言葉】
ケセラセラ

シンガーソングライターの大垣知哉が「今、会いたい輝く女性」を取材し、人生の支えになった大切な言葉とストーリーを綴る「魔法の言葉」を連載。

柿の葉すし本舗たなか 代表取締役社長 田中 妙子さん

(取材日:平成31年4月)

 昭和52(1977)年、奈良県五條市で営む柿の葉すし店の一人娘として生まれる。高校卒業までを五條市で過ごし、大学進学を機に兵庫県西宮市へ。関西学院大学社会学部に進み、卒業後はミサワホーム近畿株式会社に就職。9年の在籍期間中にインテリアコーディネーターと二級建築士を取得し京都市内で約100棟の家づくりに携わる。平成22(2010)年、実家に戻り、柿の葉すし本舗たなかへ入社。約5年間の専務取締役を経て、平成27(2015)年、同社代表取締役に就任。祖父、母からのバトンを受け継いだ3代目として「伝統と革新」をコンセプトに、現代の新しい感覚をプラスしたブランディングに取り組んでいる。
●柿の葉すし本舗たなか
URL:https://www.kakinohasushi.co.jp ☎0742-81-3651


ケセラセラ=本気で取り組んだ最後の最後には、「なるようになるさ」という開き直りが大切


  「ケセラセラ」、それは私の心を楽にしてくれる言葉。温和でどこか浮世離れした父が時々口にしている言葉です。ただ、何事も初めからケセラセラではいけません。まずは本気で取り組んでみて、やりきった最後に「なんとかなる」という開き直りが大切なのです。このような考え方を持てるようになったのはおそらく、いや間違いなく経営者として切磋琢磨してきた母の影響でしょう。


《写真左》昭和58(1983)年、小学校の入学を迎えた私(左)と親戚。当時の本店(五條市須恵)の前で《写真右》平成26(2014)年、家族勢ぞろいの写真



 家業は明治から続く柿の葉すし店。会社を法人化した祖父から受け継いだのは長女である母でした。当時の住まいは柿の葉すしを作る工場の2階にあり、朝昼夜の食事は住まいから50㍍ほど離れた店舗の奥でとるという特異な住環境。いつも家業が身近にあって、「うちの家はなんでパジャマで朝ごはんが食べられへんの?」と不思議な気持ちでした。一人娘である私を母は決して甘やかすことなく「自分のことは自分でやりなさい」と厳しく教育。「もっと優しくかまって欲しい」、決して口には出せないけど、いつも忙しくする母に対して、幼心に思ったものです。
 そんな家業の大変さを知る私は自ずと家業を継ぐなんて考えられず、大学進学を機に五條を離れ、卒業後も実家には戻らずに住宅メーカーで働くことに。実は先祖が大工の棟梁を生業としていたそうで、そのせいか私は昔から建物が好きでした。家業を継がないなら自分の力で食べていかなければと資格を取得し、専門職として働き続けました。
 五條を離れて15年、柿の葉すしとは無縁の生活を送っていると自然と恋しくなるもので、わざわざ自社の店舗にまで買いに行き、気付けば周囲に柿の葉すしを勧めている自分がいました。特に、食べたことがない人に好きになって欲しくて、お花見やホームパーティなどの人が集まる時には率先して柿の葉すしを差し入れました。
笑顔いっぱいで柿の葉すしをほおばる姿を何度も目にすると、柿の葉すしの素晴らしさを感じずにいられません。祖父と母が大切につないできた家業を私も受け継ぎたい。そう母に伝えると「あんたにはゆっくりしている時間はない」と、いきなり私を専務に就任させたのです。私は右も左もわからない状態でとんでもないプレッシャーでしたが、従業員のみんなが支えてくれたおかげで今があります。
 入社して3年目、母が取引先様の前で突然、驚愕の発言をしました。「2年後の6月に私は社長から退きます」何も聞かされていない私は頭が真っ白。おそらく、母の支えのもとで仕事をしている私の甘さを見抜いていたのでしょう。そのことをきっかけに社内が2年後に向けて動き出しました。母のように私はなれるのだろうか。そんな時、母が私に言った言葉が今でも私の心にあります。「私が感じたことは私でしかない。あなたが感じたことで積み重ねていきなさい」母らしい凛とした励ましの言葉でした。ただ、私は母のように強くはないので、やれるだけのことをやった後は、父のように「ケセラセラ」の気持ちを持つよう心がけています。そう思うと、両極端な父母の精神がバランス良く融合して、現在の自分があるのだと感謝の気持ちでいっぱいです。
 「献上柿の葉すし」という誇りを持ち、店舗展開をしてきた当社。その一方で柿の葉すしが贈答品という敷居の高いイメージがあるのは否めません。しかし、地元を離れて喜ばれた柿の葉すしはフィンガーフードとして身近な存在でした。そこに大きなヒントがあるはず。私は私なりに現代の新しい感覚をプラスした柿の葉すしを提案することで、200年以上愛され続けた郷土食を200年先もみんなから愛される存在であって欲しいと願っています。

SNS

PR

ページのトップへ戻る