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【私を支える魔法の言葉】
いくつになっても、チャレンジし続ける

シンガーソングライターの大垣知哉が「今、会いたい輝く女性」を取材し、人生の支えになった大切な言葉とストーリーを綴る「魔法の言葉」を連載。

奈良フィルハーモニー管弦楽団 団長 大原 末子さん

(取材日:平成31年3月)

 昭和35(1960)年、大阪府淀川区生まれ。大阪芸術大学在学中、ミラノ・ヴェルデイ音楽院に夏季短期留学をしてソプラノレッジェーロの声種であると絶賛を受ける。卒業後は関西歌劇団に在籍し、さまざまなオペラに出演。昭和58(1983)年、オーボエ奏者の全良雄氏と結婚し、大和郡山に移住。4人の子どもを授かる。平成12(2000)年に奈良フィルハーモニー混声合唱団、大和郡山市女性ネットワーク・女声コーラス[きらら]を設立。混声合唱団SUE・HIROを指導。2015(平成27)年、フィルハーモニー管弦楽団の2代目団長に就任。
 ★ムジークフェストなら2019に出演決定!5月25日(土)開場14時 開演15時奈良県文化会館・国際ホールにてフィルハーモニー管弦楽団団長とムジークフェストなら合唱団とのコラボコンサートが開催。お問い合わせは☎0743-57-2235まで。


いくつになっても、チャレンジし続ける=失敗など恐れず、いくつになっても真っすぐにチャレンジし続けることが大切。


 奈良フィルハーモニー管弦楽団(以下、奈良フィル)の団長に就任して今年で3年。紆余曲折あったけど、周りの支えのおかげで、今やっと落ち着きを感じています。今年5月に出演する「ムジークフェストなら2019」では、「第九」と「ふるさとの四季」の2曲を県民200人の皆さんと大合唱します。当日、主人も見てくれるのでしょうか?見ていて欲しいものです。主人が紡いだ夢がまた大きな花を咲かせる、そんな日になるのでしょうから…。


《写真左》2006年7月2日、やまと郡山城ホールでのリサイタルコンサート《写真右》2001年12月24日、混声合唱団の結成一年目を記念したコンサート終了後。夫の全さんから大原さんに花束の贈呈


 私が音楽に興味を持ったのは幼稚園の頃。先生が奏でるオルガンの演奏に感動し、「ピアノを習いたい」と母にせがみ、「ピアノが欲しい」とねだりました。母は「そんな高価なものはダメ」と反対しましたが、私に甘い父は「しっかり練習しいや」とピアノを購入。まず幼稚園の先生に、その後、本格的な先生に習い始めました。その先生が歌も得意としていて、レッスンが終わった後にいつも童謡や唱歌などの歌を教えてくれました。ピアノの発表会でも必ず歌の発表があって、いつも私を大トリに指名したのです。ピアノの演奏は緊張するけど、歌は全く緊張しない。人前で歌うことが大好きでした。そして、小学校6年生の時、先生が誘ってくれた舞台のオーディションを受けたところ合格し、島倉千代子さんと水前寺清子さんがそれぞれ主演する2つの舞台の出演が決定。しかも、「赤とんぼ」を独唱する機会まで。大勢の前で歌を歌え、拍手だけでなく、おひねり(子どもにはアメ)までいただける。将来の夢が決まった瞬間でした。その後、中学・高校・大学を経て、海外で声楽を学んだのち、オペラ歌手としての道を歩みました。
 ある日、ひょんなことで見合いの話をいただき、お相手と会うことになりました。事前に見た写真の印象は「髪が薄くて、おとなしそうな人」。会った時もさほど印象は変わらずでしたが、同席した姉が「優しそうな人だから結婚相手にいい」と後押しし、その後も会うことに。徐々にその温厚な人柄に惹かれて、23歳の時に結婚を決意しました。そのお相手こそ、オーボエ奏者である全良雄(ぜん よしお)で、奈良フィルハーモニー管弦楽団を立ち上げた張本人なのです。
 「奈良にプロのオーケストラを作りたい」それが主人の夢でした。そして、志のある仲間とともに昭和60(1985)年に奈良フィルを結成。私は事あるごとに、ボーカルや司会者、事務局としてかかわり、いつしか「主人の夢=私の夢」となりました。道のりは決して容易ではなかったけど、定期公演の開催や後援会の発足を経て、徐々に活動の場が広がりました。そして設立30周年を迎えた記念すべき特別演奏会の開催が奈良県文化会館国際ホールで決まったのです。誰よりも待ち望んだのは主人でした。しかし、開催の2日前に一昨年から患っていた胃がんが悪化し、入院を余儀なくされ、その5日後に他界。30周年の演奏会を見ることなく世を去ってしまったのです。「主人の夢を引き継ぎたい。30年間灯し続けた楽団員たちの光を守りたい」その一心で、私は団長として就任を決意。その後は前述の通りです。
 私はこれまで常にチャレンジ精神を持って、物事に取り組んできました。失敗なんて上等。失敗の先には必ず得るものがあるのです。それは主人から身を持って教えられました。今、私がなすべき役目は奈良フィルを周知させること。奈良県において、オーケストラの文化が根付くように私のチャレンジは続きます。

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