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【私を支える魔法の言葉】
一途一心

シンガーソングライターの大垣知哉が「今、会いたい輝く女性」を取材し、人生の支えになった大切な言葉とストーリーを綴る「魔法の言葉」を連載。

西大和保育園園長 松本 喜久子さん

(取材日:平成30年4月)

兵庫県武庫川市生まれ。4歳の時に空襲に遭い、奈良県五條市へと疎開。高校卒業後は大和高田市に移り、モデルとしてファッションショーやCM、バラエティー番組などで活躍。23歳で結婚し、6年後に長女を出産。長女が幼稚園に入るタイミングでモデルの仕事を辞め、育児に励む。その後、実弟・田野瀬良太郎(元衆議院議員)が理事長を務める西大和学園で参与として運営に携わる。幼児教育の大切さを知り、70歳の時に西大和保育園を設立。現在は西大和保育園の園長として、未来の日本を担う子どもたちの育成に力を入れている。


一途一進(いちずいっしん)=ただひたむきに、ひたすらに向き合うこと

■弟の言葉が原点に
 私はやりたいと思ったことに、全力で向き合う性分です。そのことに 損得を考えたことはありません。 この性格だからこそ、苦労もたくさんありました。特に西大和学園に勤めた期間の苦労はひとしおでした。なぜ私が当学園に関わることになったか。その理由は、当学園の理事長であり、実弟である田野瀬良太郎が世界一周から帰国した時、私に言った言葉が原点でした。
 あれは川辺の桜がきれいに見えるレストランで家族が一堂に会した日のことです。「日本の教育改革をしたい―」。当時の私は子どもがいたこともあり、この弟の言葉に心を打たれました。弟の思いを全力で応援しよう、そう決めたのです。

《写真左》高校卒業後はモデルとしてファッションショーやCMなどで活躍した松本さん《写真右》西大和学園の参与として運営に携わる(左から2人目)

■苦労続きの学校運営
 昭和61(1986)年、西大和学園が立ち上がり、私は参与という現場の責任者として携わることになりました。しかし、教職の経験のない私が学校の運営を担うのには負担が多く、寝る時間さえない忙しい日々が続きました。特に苦労したことは、お恥ずかしながら、お金のことなのです。
 学校の運営には膨大な資金が必要でした。何もないところからスタートした当学園。中学・高校全ての学年が埋まるまでの6年間は資金の余裕が全くありませんでした。そんなある日、銀行から融資をストップされてしまったのです。資金不足を見抜いていたのでしょう。必死にやってきたのになぜ?神様はいないの?悔しさがどっとあふれました。

■保護者からの支え
 もはや万策尽き、先生たちの給料の支払い期日が迫ったある日、ふとあることが頭をよぎりました。学園債を発行し、当学園に通っている子どもたちの保護者の方に応援をお願いしてみたらどうか。助けてくれる方もいるのではないか。早速、手紙をしたためました。「学期の途中で大変申し訳ないのですが、どうぞ学園債のご購入をお願いたします。西大和学園は子どもたちのために全力で邁進していきます」
 急なお願いで、叶うのは難しいかもしれない。心の中では不安がいっぱいでした。 しかし、ほんのわずかの希望を抱えながら、次の日、銀行におもむき、通帳を見たとき、私はその場に崩れ落ち、立ち上がることができませんでした。なんと想像をはるかに超えたたくさんの入金があったのです。
 涙が止まりませんでした。その時、私は心に強く決めました。西大和学園に来てくれた子どもたちにはどんなことがあっても教育を身につけさせる。そのために私の全てをかけてやる。それこそが私の役目だと。
 すぐに先生たちを集め、こう伝えました。「子どもたちの将来は先生の肩にかかっています。満身の力で子どもたちに勉強を教えて欲しい。我が校には東大や京大に入りたいと思っている子どもがいるんです。必ずそれをかなえて欲しい」そう、涙ながらに伝えたのです。
 先生たちはこれまで以上に熱心になってくださり、子どもたちのために一生懸命にしてくれました。改めて振り返ると、大変な時期があったから、西大和学園はここまで成長できたのだと思います。

■保育園を設立
 現在、私は西大和学園の運営から退いています。70歳まで勤めたのですからもう十分です。ただ、私には新たにやりたいことが生まれ、7年前、西大和保育園を設立しました。
 そのきっかけとなったのは、西大和学園に通う生徒の中に登校拒否の子どもがいたことです。なぜ、登校拒否になるのか?その理由を知りたいと思った私は60歳の時、心理学を勉強しに学校に通いました。
 そして、幼児教育の不十分さに原因があることを知ったのです。知ってしまうと、いてもたっても入られない性分。今は園長として、子どもの教育に全力で携わっています。
 私にはまだまだやりたいことがたくさんあります。未来を担う子どもたちが世界に羽ばたけるように応援したい。障害を持つ子どもたちが、やがて自立できるための学校を作りたい。子どもたちのために、私ができることはないか。
 弟が「日本の教育改革をしたい」と言ったあの日から、ひたむきな思いは変わらないのです。きっとこれからも、私の「一途一心」は止まりそうにありません。

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