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音楽で仏教の心伝える住職「仏門と音楽は同じ道」

浄土真宗本願寺派・龍王山光明寺住職、シンガーソングライター 三浦 明利さん

(取材日:平成31年2月)

 大淀町にある浄土真宗本願寺派・龍王山光明寺の住職で、シンガーソングライターの三浦明利さんが、新しいCDアルバム「いのちともしび」を全国発売した。幼い頃からロックスターを夢見て音楽に打ち込んできた三浦さんは、実家の寺を継ぐことをきっかけに音楽から遠ざかったが、仏の教えを伝える手段として再び音楽活動。三浦さんは「仏門と音楽、違う道のように思っていましたが、わたしにとって同じものになりました」と語る。


 4歳からピアノを習い、父が友人に借りたギターに触れたことをきっかけに、食事の際もギターを抱えて着席するほど、のめり込んでいった。「ロックが好きで、『いつかロックスターになりたい』と思っていました」と振り返る。
 女子高へ進学後も軽音楽部に所属し、当時のバンドブームに背中を押されるようにギャルバンドを結成。コピーやオリジナル曲の制作、作曲を通じてより深く音楽を愛するようになり、大学卒業後は音楽事務所に所属するアーティストに。
 25歳で実家の龍王山光明寺の住職になり、お経を読むように。小さい頃から「ロックスターになりたい」と思っていたのと並行して「いつかはお坊さんとしてやっていきたい」ということも常に胸にあった。住職になり、音楽の夢は遠のいていった。
 「そうなると、音楽から離れたつもりが、近くなっていったんです。どんどんと。お経や雅楽など、仏教は音楽に満ちあふれたものでした。そんな中、緩和ケア施設でボランティアで歌う機会をいただいたことをきっかけに演奏活動を再開するようになりました」
 「実はそれまでなかなか声が出なったんです。お経のおかげでボイストレーニングになったのかな、自然と身体が声の出し方を探すようになったんです。このお寺の生活のせいで音楽ができなくなったのかと思っていましたが、この生活をいただいたおかげで今の音楽活動があると思っています。よくわたしの活動は『二足の草鞋(わらじ)』と言われることが多いんですが、わたしにとって音楽と仏門は一本のことなんです」と語る。
 実家のお寺を継ぐ直前、大学院への通学のため京都に住んでいた三浦さんに、門徒らが本堂で演奏する機会を作ってくれた。感謝の気持ちを伝えたいと考えたが自作の曲の中にはなかった。帰路の電車の中、頭に浮かんだメロディ、フレーズで作った曲がメジャーデビューしたシングル曲の「ありがとう~私を包むすべてに~」だった。
 東日本大震災の被災地慰問をはじめ、年間50カ所を巡り、音楽を通じて仏教の心を伝えている。被災地の人々の中には、「自分だけ生き残ってしまった」という罪悪感にさいなまれ毎日を生き、三浦さんの訪問を待ってくれている人の言葉や共に歌うことで、自らもまた救われた。
 僧侶の夫と共に二人の子どもを育てる中「たくさんのことを子どもたちに教えられました。生まれてきてくれたこと、一日一日が当たり前ではないことも―」。ありがとうの言葉を胸に三浦さんは、音楽と仏教の道を歩み続ける。


みうら・あかり
 浄土真宗本願寺派・龍王山光明寺住職、シンガーソングライター、エッセイスト。龍谷大学大学院修了。大学院時代にテレビ番組「笑っていいとも」に出演したことを機にCDリリース。仏教の心を盛り込んだ作詞や作曲、演奏活動に取り組み、全国を回っている。
 
三浦明利/日本コロムビアオフィシャルサイト
URL:https://columbia.jp/artist-info/miuraakari/

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